2020年4月
サイゼリヤに行きたい、、
1月のある日、留学先のロンドンでそんなことを思った。
あの味と空間の、どこか落ち着く感じが恋しくなっていた。
サイゼリヤはどこにでもある。僕の経験上、サイゼリヤは駅前、大通りの脇、学校の近く、街を歩いてたらすぐに見つけることができる。だからいつもの生活のなかで普通のもの、とりたてて行先を定めることもなく、するっと入っていけるものとしてサイゼリヤはあった。
そのサイゼリヤがない。その感覚は、大げさになるほどの喪失でない気もするけど、確かに生活にもの足りなさが残る、といった感じだった。サイゼリヤがない時の気持ちはもしかしたら、
4月のいま、外出を自粛している多くの人とも共感できるのかもしれない。これは、ツイッターで「#自宅でサイゼリヤ」などのハッシュタグをみて、確信に到った。
僕の場合は「#建築学校でサイゼリヤ」という結果になった。そのいきさつを説明するのはちょっと長くなるかもしれない。
ところで、新しいソフトウェアに関らず、なにか道具を使うときに、その道具の持つ特性に自覚的になると表現の幅が広がる。 それは、なにかを「作る」という手段が、作品のなかでちゃんと意味を持つから。 だから、このソフトウェアですごいもの/綺麗なもの/新しいものを作ろうという気持ちよりも、「このソフトウェアを使うとはどういうことか」、「バーチャル空間を作るとはどういうことか」、ということも考えさえるようなものを作りたいなと思った。
そんなわけで、バーチャル空間を作るといっても、なにも目新しいものを作らなくていいぞ、という「見込み」みたいなものがあった。講師のセブとアナはなんでも優しくアドバイスしてくれる人だったので、サイゼリヤをバーチャル空間で作っても話が通じるかもしれないと思ってきた。そう思ったのはちょっとした予感みたいなのがあったのだけど、それについては次の章で。
書き割りの空のむこうの雲から、新しい街、仰ぎ見るビル ー キリンジ、1998年
さて、サイゼリヤがゲームエンジンとどう関係があるのか、ということを書いていきたい。バーチャル空間を作るということは、現実にある何かを模倣して作るということになる。 そうした仮想とか模倣とかそういった側面は、実際には現実世界にも組み込まれている。
言うまでもなく、サイゼリヤに飾られる絵は本物ではなくてレプリカだ。オレンジ色の漆喰壁も実際には壁紙だし、テーブルの木のテクスチャも実際には木目調シートでできている。 「ミラノ風」ドリアが実際ミラノ由来なのかは不明であるし、「ウルトラバージンオリーブ」オイルの厳密な定義も日本にはないらしい。 ここで忘れてはいけないのは、それでも私達がサイゼリアを日常の一部として愛している点なのだが(注1)。
この「模倣」の議論を遡ると70年代に行き着く。社会学者のボードリヤールは、消費社会では模倣が循環しており、 プラトン的な「真」や「偽」、「実在」と「空想」の差異をなし崩しにしてしまうこと、もはやオリジナルなどないのだと述べた。つまりもう、オリジナルはないのである。それは、キリンジが90年代終わりに明るく歌ったように、 「書き割りの空...」、つまり舞台セットのような仮想のイメージから新しい街や建物が生まれてくることが、風景として日本でも当たり前になってきたものだったのだよね。東京の郊外で開かれ、70年代からチェーン展開したサイゼリヤは、こうした社会的な変遷の典型例として捉えることができる。
こうしたことを考えると、サイゼリヤのバーチャル空間を作るということは、模倣で出来た空間に、模倣を重ねることになって、ちょっと面白い。 そして、サイゼリヤにあるルネサンス絵画のデジタルデータを作るのも少しわくわくしていた。 なぜなら、実はルネサンス絵画やその遠近法の技法も「模倣」に基づいているのである。ルネサンスは「再生」という意味で、ざっくりとした理解だと、古代ギリシャの文化を真似・再現するようなムーブだった。 遠近法も絵画上にあたかも空間があるように見せるというテクニックだったわけだ。(注2)
上の議論を図式にしてみると、「「ルネサンス絵画」のレプリカ」のデジタルコピー」を作るというような二重の模倣になるだけでなく、 「「「「「「再現」された絵画」のレプリカ」のデジタルコピー」を「「「リアル」っぽくみせる遠近法」を基にしたデジタル・カメラテクニック」で撮る」というような幾重にも入れ子になった構造そのものを、描き出すことができるのである。
作っていく。 実際には、前の章で書いていた内容は手を動かしながら悶々と考えていて、「なんかいけそう」という予感でもう作り出している。そんなわけで、かなり手探りだったので、作品の意図を知るという意味でも、制作のプロセスを載せる大事だなと思う。
いろんなソフトウェアを使っているのだけど、そのほとんどが無料で使えたり、体験できたりするものです。それからフリー素材もたくさんつかっている。
初日の3つのステップが、基本の動きだった。外部ソフトで作ったもの、そしてネットで拾ったものを、ゲームエンジンに取り込んでいくというものだ。カメラはゲームエンジンで簡単にセットできる。
ライノセラスという3Dソフトを使って店舗の大まかな形をモデリングする。上野広小路店をちょっと意識した。
めちゃくちゃ高解像度の絵画がダウンロードできることにびっくりした。すごい。
UnrealEngineには基本の素材があらかじめ入っているので、それをドラッグ&ドロップしてぺたぺた貼っていく。こうしてペタペタと素材を貼っていくのは、現実世界の店舗で、 漆喰壁を真似た壁紙や、木のテクスチャを真似たシートを貼っていくのと、ほぼ同じなのである。そういう気付きもあり、初日の成果としてこんな映像ができた。
このあといろいろ足していくわけなのだけど、作業は流れとしては毎回だいたい同じだった。全体を通してUnrealEngineは建築用のレンダリングよりも早いし、サクサク配置できるし、とてもパワフルだった。
映像は、「ルネサンス絵画からはじまって、実はレストランでした」という流れのほうがストーリー性があるなと思った。天井画→壁掛けの画→卓上というながれがイメージされる。そ のながれのなかで、画面の要素を統一するために、円状のアイテムを使うことにした。丸い天井画、円弧アーチ要素の強いラファエルの絵画、ピザなどである。この流れを整理するとこういうシンプルな回転運動になる。 ティルトと呼ばれるらしい。
更に、ルネサンス絵画をよく見ると、もう少し細かい映像の動きのヒントがあった。 Andrea Mantegnaの天井画はまるで空が実在して、そこから天使達が見下ろしているかのようだ。そこに重たい植木鉢が不安定におかれている。なにかの拍子で落ちてきそうだ。きっとこれが天井に描かれていたらちょっとヒヤッとするだろうなと思う。この、現実と虚構の遊びが、僕が前章で「模倣」の話とつながってくる。というわけで、最終的な映像ではこの植木鉢をティルトの起点とした。
また、ラファエルによる「アテネの学堂」は、遠近法を正確に使い、空間が実在しているかのように描かれている。加えて、絵のモチーフも「模倣」の文脈からみると面白い。天に向かって指をさすプラトンは、まさに真と偽、実在と空想の線引きをした人物だからだ。というわけで、映像最後には、遠近法を強調するように絵にカメラを寄らせ、同時にプラトンに焦点をあてて終わろうという風に考えた(ちょっと大げさだけど)。
The School of Athens, Raphael
ネット上で、めちゃくちゃ高解像度なピザの3Dデータがダウンロードできるのをご存じだろうか。
ここはSketchFabというサイトで、他にも沢山のアイテムがあった。ピザの他にも食器、それっぽい書類、ノートパソコンや雑誌などをダウンロードして取り込んだ。
いろいろ試行錯誤したのだけど、人間をそのまま映像に使うと嘘っぽさが出ちゃうなという学びがあり、このキャラクターは最終成果物では影や肘など「気配」として登場してくれています。
ランチメニューをネットで拾ったのと、それから友人が送ってくれたサイゼリヤのWi-Fiのパスワードを書いた紙などを加えた。
ソファとか机とかメロンソーダとか、フリー素材ではなく、少し正確に作りたいなというやつはライノセラスで作った。
サイゼリヤ店内の雑音を採集してもらったものと、それからネットで拾った車の音とかをブレンドした。
完成した!
I am interested in Unreal Engine not as a tool for making a realistic image, but as a medium that can illustrate multilayered reproduction in the physical world.
To demonstrate this, I took a well-known Japanese Italian restaurant chain “Saizeriya” that itself is a replica, or rather an amalgam of Italian and Japanese. The restaurant design comprises replicas of Renaissance paintings, which were initially drawn to create an illusion of depth of space. The interior is made-up with superficial finishings (such as fake stucco on the wall, wood texture on the table,) which techniques I found quite similar to the texture mapping in 3D softwares. The food and drink indicates that the restaurant is ultimately Japanese, and at the same time they implies that the video is a digital replica of a replica.
The whole multilayered reproduction, has been ultimately perceived as ordinary and has become indistinguishable from the every-day life.
「このソフトウェアを使うとはどういうことか」、また「バーチャル空間を作るとはどういうことか」ということを、消費社会における模倣の連環に重ねることで捉えることができた。 更に、ルネサンス絵画やそのモチーフにカメラの動きを絡めることで、西洋哲学史・美術史における「現実」と「空想」にまつわる議論や試行を示唆できたのではないかと思う。
映像や表現はまだまだもっといけるぞ!と思っていて、これからバーチャルサイゼリヤで食事会とかもしたいし、なにか発展できたらなと企んでいる。
以上、まさか原稿用紙11枚分以上書くとは思っていなかった。長文を読んでくれた方、ありがとうございました。
この文章を公開した後、屋上の方からインタビューのお誘いが来て、バーチャルサイゼリヤについてオンライン上でお話をしました。この時も背景やウェブカメラで沢山遊んだので、いつか後編としてまとめたい。